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護身術とは

クラヴマガの誕生は必然だった|元イスラエル国防軍のジュリアンが解説

2024.02.15

ジュリアン リトルトン
南アフリカ生まれ。19歳よりイスラエル国防軍(Israeli Defense Forces)に従事。国境警備、空港警備、人質救護など、数々の危険度の高いミッションに携わってきたセキュリティーのスペシャリストで、クラヴマガをもっともよく知り、経験した日本在住者と言って過言ではない。日本のみならず海外の政府VIP警護チームへの訓練も行うなど、指導経験も大変豊富。
 
2018年よりマガジムでクラス指導を開始。日本の社会や国民性をよく知る者として、クラヴマガを日本でどう応用すればより実用的かを常に考え、クラスのカリキュラム開発や、インストラクターの教育・訓練を担当している。

ジュリアン リトルトンが、自らの経験をもとに日本人の知らない生のクラヴマガの世界を語ってくれる「ジュリアンが解説 クラヴマガの世界」シリーズ。
 

第1弾はクラヴマガの誕生秘話に迫ります。クラヴマガが生まれた経緯を通じて、クラヴマガの哲学や精神性を是非ご理解下さい。

ヨーロッパでの迫害の歴史

クラヴマガを理解するためには、その生い立ちを知ることが大切です。

おそらく皆さんは今まで、何らかの形でその歴史について聞いたことがあるかもしれません。まずはクラヴマガと言う名前が生まれる前の、いわゆる「ユダヤ人の護身術」時代から話していきましょう。
 

時代は1920年代に遡ります。当時多くのユダヤ人はヨーロッパに広く住んでいましたが、各地で迫害を受けていました。住んでいた町や村で不当に逮捕されたり、または暴力を受けることが度々ありました。
 

一方当時のユダヤ人は身を守るために銃器で武装することが困難だったので、ボクシングや空手、柔道やレスリングといった格闘技の経験を持つ人がコーチとなり、身の守り方の指導を始めました。それも、パンチやキックの打ち方、相手を倒す方法、または倒された時の受身など、格闘技の基本的な技術です。特定の格闘技を教えると言うより、攻撃された時に使えそうな技を沢山寄せ集めた感じです。
 

当時のユダヤ人はひどく迫害を受け、非難されていたので、社会の中では浮浪者のような扱いされていたといえばイメージしやすいかもしれません。



そんな環境の中、どうにかして「身を守る術を迫害されている人に教える」需要が生まれたのです。技術体系が確立されていたわけでも何でもなく、いま目の前にある問題を解決する。それだけが目的でした。

クラヴマガ精神誕生の背景

コーチとなったのは、ユダヤ人の中でも格闘技の経験を持った人たちです。彼らは周囲の皆に身を守る方法を教えました。最初はボクシングの基本であったり、様々な格闘技の基本技術を扱うようなことから始めたようです。

その教えの場も、次第にやりとりする内容が変わってきました。「こんな暴力を受けたのだけどどう対応すればいい?」とか「この危険からはどうすれば逃げれますか?」といった、人々が実際に経験した事件(危険)に基づく質問をどんどん受けるようになったのです。
 

この教えの場は、格闘技を教えること自体に目的は無く、その質問に答えること、つまり現実の問題を解決することこそが目的です。従ってそこで教える技術は、人々が直面している問題を解決できるよう進化していきました。



これこそが、クラヴマガ精神の起源です。「環境に適応し、常に進化し続ける」というクラヴマガの理念はこうして生まれました。今ある問題に対応できないと、何の意味も無かったわけです。
 

その際、何か特定の格闘技を参考にしたわけでもありませんし、モデルとなる格闘技もありません。次々と生じる問題に柔軟に対応し続けることこそが求められました。「地面に投げ飛ばされたんだけど、どうしたらいい?」「寄ってたかって蹴らた」「鉄パイプで襲われた」「刃物で刺されそうになった」など、そんな問題が目の前にあったのです。
 

当時、ヨーロッパの多くの場所でこんな問題が起きていましたので、いつどこで起きたのか、詳しく正確にはお伝えすることはできませんが、これこそがクラヴマガ誕生の歴史的な背景です。

イスラエルへの移動

同時期(1940年より前の話ですが)ヨーロッパのユダヤの人々は、イスラエルへの移動を始めました。ヨーロッパでの迫害が酷くなり、ユダヤ人生誕の地、イスラエルへ移住する動きが活発化しました。迫害が強まるほど、ユダヤ人のイスラエル入植が強まりました。



しかしそのイスラエルでも同じことが起きました。ユダヤ人入植者たちがイスラエルに到着してコミュニティーを築き上げた後に待っていたのは、ヨーロッパで受けたこと同様、周囲からの迫害でした。

当時、イスラエルの地を統治していたイギリス人、さらにはユダヤ人の入植を好ましく思っていない周辺のアラブ人から猛烈な迫害を受け、常に激しい衝突がありました。
 

当然そこには、以前と同じニーズがありました。危険からどうやって自分達の身を守るかを、コミュニティの皆に教えることです。当時のユダヤ人も銃器で武装することが困難な状況にあったため、ヨーロッパで経験してきたことが、イスラエルでも活かされるのです。

建国前の義勇隊

イスラエル建国(1948年)以前、イスラエルの地には当時、3つのユダヤ人グループが存在しました。3つのグループは、それぞれ独自の理念や哲学も持ちました。そして各グループには、軍隊とまではいきませんが、自らで自らのコミュニティを守る義勇隊のようなものがありました。



時間の経過とともに格闘技などの戦闘経験を持つヨーロッパからのユダヤ人入植者は増えました。彼らが加わることで、部隊の戦闘力は徐々に軍隊のようになりました。制服に身をまとい、銃器の扱いを訓練し、更には格闘技経験のあるもの達が技術を持ち寄り訓練する。こうやって戦闘能力を高めていきました。

イスラエル建国とIDF誕生

1948年、イスラエルが建国すると、3つのグループは崩壊し、1つの組織へと統合されました。それがイスラエル国防軍(IDF)です。

クラヴマガの歴史を語るには、軍の歴史なしには語れません。銃器が希少であるなか、どうやって身を守るか。それはありとあらゆる格闘の知見をもつ者から学び、実戦で使えるものを取り入れることが必要でした。
 

中国や日本などのアジア諸国には格闘技の長い歴史がありますが、ユダヤ人にはその伝統がありません。元来ユダヤ人の得意分野は他にあり、格闘技は専門ではありません。
だから外から取り入れる以外、選択肢が無いのです。



問題が起きれば、それを解決できる人を探し、そこから極力多くを学ぶ。そしてそれを、今あるニーズに適応させる。現場で使えたのか、それとも使えなかったかを検証し、必要であればすぐに変える。決して留まることなく、必要に応じて常に変化する。
 

伝統はこうだから、こうしなければいけないと言う考えに囚われることは一切ありません。というより伝統を気にしている暇はありません。実際に使えるのか、それとも使えないのか。ただそれだけです。使えなければ捨てるだけ。何故ならばそれが生死にかかわる問題だからです。武道の伝統を守ったところで、命は守ってくれません。いざという時に使える技術こそ求められるものです。
 

これがクラヴマガの精神、すなわち現実への適応力や柔軟性を最重要し、使える物はなんでも吸収するという哲学が生まれた背景です。

クラヴマガの誕生

イスラエル国防軍(IDF)の設立以降、ユダヤ人がその経験から進化させ続けてきたこの格闘体系は、様々な変遷を経て「クラヴマガ」と名づけられました。

そこから更に時が経ち、クラヴマガがIDFの中で使われていくにつれて、状況はまた変わります。
 

イスラエルは兵役が義務です。18歳以上の全国民が軍に従事します。
つまり人口のほとんどが軍に入隊してくるわけですから、中にはボクシングやキックボクシングなどの格闘技上級者、場合によってはプロ経験のある者もいました。

すると彼らは入隊後は当然に、格闘技の分野で頭角を現し、その後指導者となり、さらにクラヴマガに対して自分の経験を吹き込みます。こうしてクラヴマガの進化は加速しました。



一方で課題もありました。ボクシング出身の指導者はパンチ重視の技術を教えるのに対し、柔術の出身者は寝技重視、ムエタイ出身指導者はキック重視、と傾向はどうしても指導者によって異なりました。結果、クラヴマガとしての技術に統一感が失われ、若干バラつきのあるものになってしまいました。
 

そこで初めて、IDFにクラヴマガのスクールが設立されました。その下で統一したカリキュラムや指導体制を作ることが目的です。異なるバックグラウンドをもつ指導者達が教える格闘技体系から、ひとつの共通カリキュラムのもと、全指導者が統一して教える軍の格闘システムへと進化していったのです。
 

まず指導者向けの指導カリキュラムを整えて指導内容や訓練方法を統一したうえで、次に生徒(軍人)向けのカリキュラムを作りました。
こうしてかつてのバラつきは解消され、皆が共通の同じカリキュラムを習得することになりました。クラヴマガはIDFにおける接近格闘の高度なシステムとして確立されていったのです。

民間への普及

軍隊の中ではこのような変遷を経て進化したクラヴマガですが、軍の外、すなわち一般人にとっても、自分の身を守るという需要は以前と変わらずありました。(もちろん軍は一般人を守ってはいましたが。)

では民間向けのクラヴマガ指導や普及にあったのは誰だったのか?それを担ったのはIDFを退役した軍人達でした。
 

彼らは軍でクラヴマガを身につけ、学び、場合によっては指導経験をすでに有していました。彼らは退役後も引き続きクラヴマガを訓練するために、自らジムをオープンし、一般人に門戸を開放しました。こうしてイスラエルに住む一般人にも、クラヴマガを習得できる機会や場所が生まれたのです。

ヨーロッパ・アメリカ、そして日本へ

その後イスラエルは数々の戦いで成功を収め、国としての地位が向上していきます。すると今度は諸外国がクラヴマガへの関心を持ち始めます。イスラエルが高い戦闘力を持つ理由の一つが、クラヴマガだったわけですから。

その後、クラヴマガは世界に急速に広がっていきます。逆輸入的なことになるかもしれませんが、まずヨーロッパへ、そしてアメリカへ伝わり、世界へと広まりました。



しかしアジア諸国は事情が異なりました。アジアには昔から伝統的な武道や格闘技が存在していたため、そこにクラヴマガが入り込む余地が無かったといえばいいでしょうか。幼いころから空手をやっている、柔道をやっている、またはムエタイをやっている、そんなお国事情が影響しているのかもしれません。
 

そこから長い時を経て2000年代の初頭、日本でも護身への関心が高まるとともに、幼少期から始めていなくても、年齢や性別を問わず誰でも身につきやすい護身術へのニーズが高まりました。2002年、クラヴマガは日本に紹介され、その後マガジムを始めとしたクラヴマガのジムが東京を中心にできたというわけです。
 

日本でのクラヴマガの歴史は20年余りと浅く、まだ海外で取り入れられた技術のままの状態にとどまっているという認識です。しかしこれからは日本の事情やニーズ、日本人の特性などをもっと考慮に入れ、ここに住む多くの人が抱える問題に適応した技術やトレーニング方法に進化していくことが、正しい発展の姿だと考えます。まさにクラヴマガの生い立ちや歴史と同じです。私はその一助になれれば幸いだと思っています。

クラヴマガの精神は迫害の歴史にあり

私の理解しているクラヴマガの誕生の話はこのようなものです。
詳しい年代であったり、Wingate Institute(※)がいつ誰によって設立されたとか、といったことはわかりません。しかしこの話を通じて伝えたいことは、クラヴマガの精神性や哲学です。クラヴマガは当時ユダヤの人々が直面した問題を解決するという、必然性から生まれたということです。シンプルに、生き延びるために必要だったのです。



(※)クラヴマガの公式な訓練プログラムと資格認定を行うイスラエルの国立スポーツ研究所でクラヴマガの教育や普及のうえで重要な役割を果たしています。
 

言い換えると、今皆さんが習っているクラヴマガのテクニックは、当時の(ユダヤ人の)問題から生まれたのです。誰か特定の人物が机の上で考案したわけではありません。

「昨日あやうく刺されそうになった」「銃器を向けてきた奴にどうすればいい?」「それにはこうしたらいい」「いやこの方がより安全だ」
 

危険に直面したそんな現場の問答から生まれ、知見が積み重ねられてきたものが、いまここにあるクラヴマガなのです。

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この記事の監修者
ジュリアン リトルトン
南アフリカ生まれ。19歳よりイスラエル国防軍(Israeli Defense Forces)に従事。国境警備、空港警備、人質救護など、数々の危険度の高いミッションに携わってきたセキュリティーのスペシャリスト。日本在住者で彼以上にクラヴマガを体現している人物はいないといっていい人物。 2016年から2018年にかけては、他国の大統領警護チームに対する技術訓練責任者として従事。クラヴマガとその警護への応用はもちろん、セキュリティに関する広範な知識と技術を他国へも教授した。2018年よりマガジムでクラスを指導。実戦的過ぎるクラスは大好評で、マガジムインストラクター達へのクラヴマガの神髄を伝える役割も果たしている。